ブルックス・モリスの航跡 (ドアノブ・ルアー開発者)

                Big Game誌 No.2 掲載記事

ドアノブ・ルアー、Tバーハンドル、フィッシュスキン、そして…

文・早川知加志   資料提供・﨑山貴司

 ビッグゲームトローリングの世界に一時代を画したルアー「ドアノブ」をご存知だろうか。

 1985年に登場するや、トローリングトーナメントの最高峰、HIBTに85年、86年と2年連続で優勝してセンセーションを巻き起こし、ほんの短期間の間にトローリングルアーの代名詞とも言うべき存在となって一世を風靡したモデルだ。

 そのルアーをデザインしたブルックス・モリスが今年2006年のHIBT参加をもってトーナメントを引退するという。この機会に、ドアノブ・ルアーとブルックス・モリスがトローリングの世界に与えた影響、そして功績について考察してみたい。

<ユニークな形状のルアー登場>

 トローリングルアーの発祥は古代のポリネシアだというから、ルアーは数千年という長い歴史を持つ釣具である。近代的な樹脂製のルアーヘッドが誕生したのは第2次世界大戦後、1950年前後のハワイだといわれるが、以来約50年、急速に発展したトローリングルアーには実にさまざまな形状のものが登場してきた。しかし、ルアーのこの長い歴史の中で「ドアノブ」くらい変わった形状のものはないだろう。その名前のとおりドアの取っ手のような、ユニークな形をしているのだ。

ブルークス・モリスとお気に入りのドアノブSD12ライム(HIBTにてスタートフィッシング)

 開発者のブルックス・モリス自身、「誰に見せても、こんなもので釣れるはずはないと言われた」と語っているが、80年代ではユニークすぎて理解されなかったのも当然だったろう(現在も同じことが言えるかもしれない)。

 しかし、モリスには自信があった。だからHIBT(ハワイアン・インターナショナル・ビルフィッシュ・トーナメント)にこの革新的なルアーを持ち込み、センセーショナルなデビューを飾ることができたわけだが、そもそも、そのユニークな形状の発想はどこから得たのだろうか。そのヒントは彼の職歴と、彼が作った会社の名前「エリア・ルール・エンジニアリング」に隠されていた。

<戦闘機乗り、ブルックス・モリス>

 ブルックス・モリスは1928年6月28日、ニューヨーク生まれなので、今年で78歳になる。

 お父さんはチェスター・モリスという名前の映画俳優で、1940年代後半から50年代にかけて人気を博した探偵冒険映画“ボストン・ブラッキー”シリーズの主演をつとめた。アメリカでもかなり有名な俳優である。お父さんがハリウッド俳優だから、ブルックス・モリスも生後9ヶ月でビバリーヒルズに移り、以後、映画サークルの中で育った。そのため俳優の友達がたくさんいて、特にロバート・ワグナーとは親しいとのことだ。

 ジュニアカレッジを卒業後、モリスは空軍のパイロット養成学校に入り、戦闘機乗りになった。1950年から2年半、日本の基地に勤務し、朝鮮戦争(1950.6~53.7)では空軍パイロットとして100回以上、作戦に参加したという。ベトナム戦争(1960~75)ではF82戦闘機のパイロットとして150回以上、作戦に参加した。その後も空軍に在籍し、テストパイロットやパイロット養成学校の教官を務め、1974年に大佐で退役している。

 最後の赴任地はハワイで、退役後、ハワイで釣りクラブを作り、74年にHIBTに初参加、その後も参加を続けた。カジキ釣りは63年にフロリダで600ポンドクラスを釣ったのが最初の経験だそうだ。

 軍人時代のブルックス・モリスにとって釣りは完全に趣味だったが、退役後は趣味の延長が仕事となり、釣り道具をビジネスとして扱うようになった。ただ、この時代は、メーカーではなくショップあるいは卸の仕事だったようだ。

 そのブルックス・モリスがルアーを作り始めたのは83年の終わりころから。84年にはドアノブの原型となる試作品ができた。そして85年に4、5種類のプロトタイプを作り、メキシコのカボ・サン・ホゼで一週間ほどチャーターボートを借り切ってテストをおこない、その中で一番成績の良かったものをもってHIBTに乗り込んだのだった。結果は2年連続の優勝。しかも86年は、最終日に1000ポンドオーバーのグランダー(正確には1062.5 ポンド、アングラーはギル・クレーマー、ボート<イフ・ヌイ>、ライン50ポンドテスト)を釣っての劇的な逆転優勝だった。このカジキは当時の世界記録で、しかもIGFA(国際釣魚協会)の公式大会で釣り上げられた初のグランダーというおまけの記録までついていた。

 HIBT優勝を受けてドアノブ・ルアーは商品化されたが、当初は自宅のガレージを工場に、ごく少量の生産体制だったという。87年からは型を作り、生産体制を整え、94年からはPVC系のクリアな樹脂を採用したソフトヘッドに切り替えて、以降、ハードヘッドのドアノブは作っていない。柔軟性のある樹脂を使ったルアーはドアノブ以前にもあったが、クリアな樹脂を使ったのは、たぶんドアノブが最初だろう。

<「くびれ」が抵抗を抑えるという流体力学の理論 >

 では、ブルックス・モリスはどこからドアノブの形を思いついたのだろうか。そこで関係してくるのが、彼の会社の名前でもある「エリア・ルール」という流体力学の用語である。

 ブルックス・モリスが現役の戦闘機パイロットだった時代は、第2次世界大戦の末期に実用化されたジェット戦闘機が急激に発展した時代と重なる。そして当時の技術上の最大の壁が音速だった。最高速度がどうしても音速を超えられないでいたのだ。その事例として知られているのが、F-102戦闘機の原型、YF-102のエピソードである。

 YF-102(1953年10月24日初飛行)は超音速での飛行を意図して設計されたものの、マッハ1付近での抗力増加が非常に大きく、結局、音速を突破できなかった。そこでエリアルール理論を適用して設計を変更し、それまでストレートだった胴体に「くびれ」をつけた(YF-102A) ところ、マッハ1付近での抗力が半分近くも減少し、上昇中に音速を突破した(1954年12月21日)。

YF-102

 このエリアルールは断面積分布法則とも呼ばれ、断面積変化をなめらかにする(断面積の最大値を小さくする)ことで音速付近における抗力増大が押さえられるという理論である。航空機の機首から順に機体を「輪切り」にした断面積を考えると、機首部分では胴体のみだが、機体中央部付近では胴体に加えて主翼があるため、ここで断面積の急増が生じる。これを緩和するために胴体を「くびれ」させることが考えられた。1950年代にNACA(現NASA)のリチャード・ウィットカムがこの理論を発見し、NACA ラングレー研究センターの遷音速風洞で膨大な試験を行い、このことを確かめた。この貢献により、彼は1954年のコリア・トロフィー(アメリカの航空業界における最も権威ある賞)を授与された。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

 ブルックス・モリスはどうも、釣りポイントとホームポートとの往き帰りの時間がもったいなかったらしい。当時(そして今も)、大部分のルアーは10ノット以上で曳けば水中から飛び出し、釣りにはならなかった。何とか巡航速度(20ノット前後)でもトローリングになるルアーがないかとモリスは探したのだろう。ついには自分で設計しようと決意し、そのとき思いついたのが、高速での抵抗軽減を狙ってのエリアルール理論の適用だった。

 音速(時速1225キロ)と10ノット(時速18.5キロ)~20ノット(時速37キロ)の世界を比較してもスピードが違いすぎて意味がないように思われるが、水の密度は大気の800倍というから、見方を変えれば、水中を10ノットで走行するルアーは大気中を8000ノットで飛行するのと同様の抵抗を受けるともいえる(粗雑に過ぎる比例ではあるが)。そう考えれば音速近辺の抗力を考察するエリアルールの理論がトローリングルアーの泳ぎに適用されるのは決しておかしいことではないし、それを実際に試してみたブルックス・モリスの慧眼は賞賛に値するだろう。

 こうして出来上がったルアーは、大きな「くびれ」のある形状からドアノブと名づけられ、適用した理論は会社名となった。

 ドアノブは高速でも抵抗の少ない、見事に安定した泳ぎを見せ(だから海況を問わず誰でも曳きやすいし、カジキも食いつきやすい)、長いスモーク(細かい泡の帯)を曳き、カジキの食い気を誘った。エリアルールエンジニアリングは広告などで18ノットまでギャランティしているが、ブルックス・モリス自身は「22ノットでカジキに食わせたことが一度ある」と証言している。20ノットまでは十分に性能を発揮する超高速ルアーなのである。ドアノブはカジキ以外でもマグロやスピアフィッシュで数々のIGFA記録を樹立している。

 結論付けるなら、トローリングルアーの世界に歴史上初めて科学的な流体力学理論を持ち込み、意味があることを実証して見せたところにブルックス・モリスの大きな功績があると言えるだろう。

< 開発に次ぐ開発がモリスの本領 >

 ブルックス・モリスの科学的な理論に裏付けられた製品開発の流れはドアノブ・ルアーにとどまらなかった。

 86年にはリップラッチ(ツナフックをテフロンコーティング加工して錆びにくくし、強度のある棒状のワイヤでタンデムにしたシステム)、87年にはワフー向きのドアノブともいうべき「フーノブ」を誕生させ(フィジーのワフー大会で91年~94年の4年連続で優勝した)、96年にはスモールボート用の動きのよい軽いルアー「ニンジャスクイッド」を発表した。そのほか、カエシを内側ではなく外側につけ、バラシの確率を低減させた「SOB」フックなど、多くの発明・改良がある。

 このSOBフックはハワイに古くから伝わる、骨で作る伝統的なフックを参考にしたもので、製品化に協力した著名チャータースキッパーのフレディ・ライスによれば、いったん深く刺されば、カジキが頭を激しく振ってもまず外れることはないという。

 中でも重要な発明は88年に商品化した「Tバーハンドル」だろう。これはリールを巻く単なるハンドルなのだが、握り手に人間工学的に最適な角度をつけて回転の動きに無理や無駄をなくし、効率的な巻き上げを実現した製品である。これを使うとパワーをよりダイレクトにリールに伝えられ、早く巻くのがすごく楽で疲れにくいのがはっきりわかるといわれている。人によっては「3倍くらい、ロングファイトが出来る感じ」という感想がでるほどだ。

 これなども、たぶん、パイロット時代の経験、たとえばジョイスティック的な操縦桿を扱った経験からアイディアを得ているのではないかと想像される。

 当初はペンリール用のバージョンしかなかったTバーハンドルだが、世界中のリールメーカーが次第にそのよさを認めるようになり、今ではTバーハンドルが付くバージョンをラインナップするリールメーカーが増えてきた。

 Tバーハンドル以上に評価の高い製品が93年に発表されたスカート用素材「フィッシュスキン」だろう。これはPVC系の素材を使い、薄く(0.5mm厚)、街の食堂などでよく見かけるビ二ール製テーブルクロスのようなしっとりとした感触のあるスカート。親水性がよく、水がよく流れてヘッド本来の泳ぎが引き出される。また、表面に細かい凹凸がありスモークがよく出るといわれている。

 ドアノブ・ルアーを開発したブルックス・モリスはルアーヘッドの高速下の動きを生かすことのできない従来のタコスカートに不満を感じていたようで、長い間、適合する素材を探していたが、PVC系の素材に出会ってこれだと直感するものがあったという。しかし、実際に満足する製品に仕上げるのは一苦労だった。押し出し成型で作るのだが、そのノウハウが決まらず、初期製造工程の歩留まりは20%だった(8割が無駄になった)という。しかし、製品化に成功してからは、「抵抗が減り、泳ぎが格段によくなる」「切れが出て、泳ぎが機敏になる」と評価が高く、ルアー本来の泳ぎを引き出すというモリスの狙いは成功した。また、副産物として、同じ素材を使ってドアノブのソフトヘッド化も実現したので(94年)、モリスにとってもフィッシュスキンの開発は大きな意味を持っていたようだ。

後記) この記事をまとめて頂いた早川知加志氏と掲載を快諾して頂いた「BIG GAME」誌に感謝します。

雑誌「BIG GAME」のバックナンバーは Web Shop “La Grande” で販売予定です。また、残りわずかなオリジナルのドアノブにご興味のある方はメールにてお問合せ下さい。

info@topgun-fishing.com

注)メールソフトによってエラーになるようですが、通常は届いております。

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